女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

私は、母を捨てた悪い子だから、在宅での看取りなんて最後まで出来るはずがない。

今日、車を運転しながら、ふと

「本当は、在宅で看取りたかったなぁ。」

って気持ちが湧いてきた。

 

助産院で出産したいって言った時と同じで

在宅介護での看取りをしたいことへの

周りの反対に反論出来なかった。

 

私は、長女を出産する時に、高校生の頃にテレビで観た

吉村病院みたいな産院か、もしくは助産院で出産したいと思ってた。

でも、あの頃は、周りに助産院で出産した人もいなければ

助産院がどこにあるのか?も知らなかった。

周りは、そんな私を心配して、何かあったらいけないから。と

一般的な産院での出産を勧めてくれた。

しかも、まだあの頃の私は、自分が今、本当はどうしたいと思っているか?

って自分の本音との向き合い方も知らなかったし

周りが反対するほどの険しい道を自分が歩んでいける自信もなかった。

 

その後、長女を出産し、色んなことを学びながら

たくさんたくさん、自分の本音と向き合う時間を作ってきたし

子育てのことも、心のことも、勉強してきた。

だからこそ、あの頃よりは、自分がどうしたいか?を

はっきりと認識出来るようになっていたと思う。

 

だからなのかもしれないが、長女の時から願っていた

助産院での出産を次女の時に経験出来た。

その過程でも、どんな風に妊娠期間を過ごしたいか?

どんなお産がしたいか?に向き合ってきていたから

自分がどんな風にしたいと思っているのかを

きちんと表明出来るようになっていたはずだった。

 

はずだったのに、なぜか、それが難しかった。

施設のスタッフさんに、「在宅で介護をしたいと考えているのですが。」

と相談したら、「それは難しいと思いますよ。」と言われた。

「数時間おきに痰の除去をしないといけないですよ。

それは、深夜も変わらずなので、負担が大きいですけど、大丈夫ですか?

お子さんもいるから、無理されない方がいいですよ。

数時間おきに、体位変換もしないと褥瘡が出来たりしますし

想像されている以上に大変だと思います。」

その声に、色々と意を唱えてみた。

 

自分自身、ヘルパーの資格を持っているし

在宅介護についての知識も、多少はある。

寝たきりになった母の介護のイメージも、全くないわけではない。

訪問看護も、在宅医療の先生も探せばいいし、介護ヘルパーさんも

最大枠、入って貰うようにしたらいい。

やれないかもしれないけど、やり方を模索してみてもいいと思うんです。と

やってみたいと思うんです。って話してた。

けど、そうやって反論したし、本当にそう思ってた。けど

それでもいいから、大変でもいいから、苦労してもいいから

それでも在宅で看取りがしたいんです。と言い切れなかった。

 

在宅で介護していた頃の苦しさが、まざまざと蘇ってきて

あの、毎日イライラしながら母の様子を監視して

別の部屋に居る、母の行動を感じ取って

危ないことはないか、変なことはしてないか?って

ずっと、神経研ぎ澄ませてるあの時間が蘇ってきた。

 

あの精神状態に、今の私は耐えられるのか?

自分の都合で、スケジュールを変更し辛い状況になっている現在

疲れたからと、休める状況じゃない今なのに、それは可能なのか?

それに加えて、自分の体力が持つのか?も心配だし

(実際にあの頃よりは、年齢を重ねているのは確か)

またあの頃みたいな、ハードさに家族を巻き込むのか。。。

とも考えた。

そう、あのハードさの中に、また家族を一緒に連れて行くのか?と

そう思ったら、気持ちが止まってしまった。

母の認知症の症状は最大限進み、寝たきりの状態になっている

私の静止も聞かないような状態だったあの頃とは

比べ物にならないくらい、母の状態は変わってはいる。

けど、本当に看取りをして大丈夫なのか?

終わりがはっきりしない。母の死を待つだけの時間になりかねない

在宅での看取りに本当に踏み切るのか?

そう自問自答しているうちに、時間はすぎていった。

そして、母は、亡くなった。

 

それでも、私は、やっぱり母を自宅で看取りたかったんだなぁ。って

今日、ふと自分の本当の気持ちがブワッと出てきた。

あぁ、これ口に出した方がいい気持ちだなぁ。って思ったので

口に出したら、泣けてきた。

「あぁ、看取りたかったよね〜。母しゃん母しゃんって

娘達と声かけながら、食事したり、体拭いてあげたり

もう、臭くない?とか言いながら、ちゃんと生きてる証拠だよ〜。

なんて娘をいなしながら、おむつ変えたりしたかったね〜。

あぁ、もうほんと、そんな風にしたかったのに

なんでしなかったんだろうね〜。」

って声に出してたら、あぁ、そっか。って思った

 

私、ちゃんと最後まで、在宅の看取りが出来るかどうか自信がなかったんだな。

だって、私は、これまでも、色んなことをやり始めてきて

最後まで、ちゃんとやり切った。と思ったことがない。

全部、中途半端で投げ出してばっかりだったから。

 

よくよく考えたら、ちゃんと最後までやり切ったことも

たくさんあるんだよ。自分ではそう思ってなかっただけで。

しかも、その最後って、じゃあどこよ。って話でもあるじゃん?

何を基準に最後って規定するの?

その時、その状況で最後の定義なんて変わることもあるでしょ?

 

でも、あの頃の私は、本当に、自分のこと中途半端な人間だと思ってたからね〜。

だから、この在宅での看取りも、自分が最後まで出来るか信じられなかった。

そう、私は、私自身を信頼出来てなかったんだよね。あの時。

だから、周りの心配の声を大事にしちゃったんだよね。自分の気持ちより。

 

でさ、なんで、自信がなかったのか?なんだけど

確かに、自分のこと中途半端な人間だと思っていたのもあるんだけどさ

「お母さんを捨てた悪い子の私が、そんなこと出来るはずがない。」

って思ってたんだよーーーーーーー!

ちょっとびっくりして運転しながら号泣しちゃったんだけど。

 

私、母に施設に入所してもらったことも、入院してもらったことも

ちゃんと自分の中で、納得して預けてたはずなのに

母のこと捨てた。って思ってたみたいーーーー。

あぁ、そりゃ自分に自信なんて持てないわー。

てか、そんな罪悪感抱えてたら、自分のこと信頼出来るわけないね。

そりゃ、難しい。

 

「私は、母を捨てた悪い子だから、きっと今度も

母のことを最後まで介護出来るわけがない。」

って思ってた。

 

でも、そのことに気づいたら

あぁ、私、お母さんのこと大好きだったんだなぁ。って思った。

お母さんの子育ては、嫌だったし

認知症になった頃のお母さんも大嫌いだったし

夕食時に、会社の文句言うお母さんも大嫌いだったし

自分の価値観押し付けてくるお母さん大嫌いだったし

もう、本当に嫌だったはずなのに

大好きだったんだよ。マジで。

 

もっともっと寝たきりの母に話したかったことがあった。

何気ない日常の色んなことを聞いてるか聞いてないか分かんないけど

母に伝えたかった。

そして、父や母に育てて貰った記憶の残るこの家で

最後まで一緒に居たかった。

でも、それが出来なかったんだ。

 

これが私の正直な気持ちなんだな。

 

こうやって、私は、在宅での看取りは出来なかったけど

最後、女4人だけの時間を過ごせたのも、

(次女を出産した時と同じ編成だったのに気づいた時は

なんか、生まれて死んでいくってこういうことなんだな。

って、心の中に何かが染み込んだような気がしたよ。)

弟も一緒に、母の体を拭いてあげられたのも、

娘や、姪っ子達が、母の死を前に

色んなことを感じているのを見ることが出来たことも

全部、私が看取りの時に感じたかったことを感じられてた。

 

在宅での看取りが、したかったのは

こういう時間をもっともっとたくさん作れたらいいな。

と思っていたからだから、量的には足りないかもしれないけれど

自分のやりたいこと感じたいことを感じていたから

母を見送る時に、とても心が満ち足りてたんだなぁ。って思う。

 

いやぁ、しかし、自分が母のことを捨てたから

そんな自分が在宅での看取りを出来るはずなんてない。

って思ってたなんて、びっくりだったわ。

 

こうやって、育児も介護も

自分の中にある、自分に対する思い込みとかを

見える形にして、目の前に持ってきてくれる。

その度に、衝撃が走って、泣いちゃうことが多いけど

これも、これからの私には、必要な衝撃だったんだろうな。って思う。



ていうか、ほんと人の心って捉え所なくて、不思議だね。

なんで突然、こんなことになったのか

さっぱり分からんけど、なんていうか、すんごいスッキリした!笑

 

お母さん、自分の家で死にたい。っていう

お母さんの願いは叶えてあげられんかったし

在宅で看取りたいっていう

私の願いも叶えられんかったけど、

多分、あの時の私にとって、最大の努力はしたと思う!多分!笑

だけん、許してね〜。って感じです。

 

こうやって、私が感じたことをそのまま書くと

すごく自分勝手なことを言っているように感じて

イライラする人もおるかなぁ?

でも、残された家族は、こうやって自分が出来なかったことや

心に残っている後悔なんかを、少しずつ自分が受け止められる形にして

一緒に居た人がいなくなった事実を受け止めて行くんだと思います。

なので、なんじゃそれ!って思ってもスルーして貰えると嬉しいです!

やっぱり話すって大事なこと。

今日は、佐賀市内で

ダブルケアに関する講演会が開催されたので

参加して来ました。

 

主催の千住さんに初めてお会いしたのが、5月末。

それから、団体のFacebookページが出来上がり

チラシが出来上がり

団体のロゴが出来上がり

今日、初めての講演会が開催されました。

 

千住さんは、保健師さんで

現在は、大学院でダブルケア当事者の方々の

健康に対する意識とか、自分のことが

後回しになってしまうのをどうしたらいいか?

なで、後回しになってしまうか?などを

研究されているそうで

今回は、まずは、ダブルケアというものがどんなものか?

を知ってもらう講演会を主催されました。

 

ダブルケアの話を聞いていると

在宅介護だった時のこととか

施設に預ける時のこととか

もう色々思い出して、情緒がおかしくなる。

 

そして、もう母は居ないんだな。

ってのを痛感してしまった。

 

それでも、こうやって自分が何をやっていたのか?

当時どんなことに困っていたのか?

を実感したり、思い出したりして

自分の気持ちの整理をしているんだろうな。とも思う。

 

これから、どんどん少子高齢化が進んでいくと

晩婚化、晩産化も進んでいくだろうから

確実に出産後、すぐにダブルケアに突入。

なんて家庭も増えていくだろうから

今からやれることを、やっていって欲しいな。と思う。

 

事前に、知っておくだけでも

軽く聞いたことあるなぁ。くらいでも

触れておくことが大事になってくるだろうな。って思う。

 

突然、介護が始まると

情報の洪水みたいな感じで、知らなかったことが

流れ込んできて、なおかつ、次々に選択して決断して

というのが、続くからな。

ほんと、知っておくって大事。

 

しかも今日は、大分市からしましまカフェの

佐藤智子さんの講演会も同時に聞けたので

めちゃくちゃ贅沢な講演会でした。

 

これからも、佐賀県内、市内で

ダブルケアの講演会や、ダブルケアカフェを開催されると思うので

興味のある方は、ぜひ、フォローしていてくださいませ。

https://www.instagram.com/simasimacafe.oita/

 

 会場に着いたら、熊本の荒尾在住の

くろあささんも居て、びっくり!

コロナ禍で、なかなかお会い出来てなかったので

久々の再会で、嬉しかった。

 

しかも、お土産まで貰ってしまった!

早速、家でいただきました。

8月1日に、ダブルケアの専門家が、佐賀で講演会するんだって!

介護と育児を同時期に行うことを

ダブルケアと言うんだそうです。

www.gender.go.jp

(出典:育児と介護のダブルケアの実態に関する調査報告書から)

 

1号ちんが、4歳になる年くらいから

実母の認知症が発症し、同居をしていた私は

必然的に、そのまま介護をし始めました。

 

もうね、時系列とか

バラバラでしか思い出せずに

ほんと育児でも、どんどん忘れていくのに

介護してたことも、どんどん忘れていくんだよ〜!

 

全部、覚えておきたいのに

きっと覚えてたら、

悲しくなり過ぎたり辛すぎたりするから

忘れちゃうのかもなぁ。なんて思ったりね。

 

それでも、時々でも

こうやってブログに書き留めてるから

振り返りが出来るので、

あの時、いろんな感情を

書き留めようと思った自分に感謝だな。

 

それでも、実際に介護している時は

目の前の母に腹が立つことの方が多かったし

「なんでこんなことばっかりするの?」

って怒ったりしてた。

 

だからこそ

母が何をしようとしているのか様子を伺いながら、

やろうとしてることをどんどん取り上げて

失敗しないように、

大変なことにならないようにと

先回りして、介護してたら、母が

「もう、私のことを監視せんでぇ〜!!!!」

って泣いたこともあった。

 

「あぁ、これ、子育てと一緒やん。」

ってなった。

 

一人の人間として、その人に意思があり

失敗する権利も持っているってこと。

その後始末が、

大変なことになるかもしれんけど

それは、環境調整で、

いくらでも予防出来ると言うこと。

もう、全てが、介護も子育ても同じだった。

 

今その人が、出来ること出来ないことを観察し

考察し、出来ないことでも、

どうやったら出来るのか?

もう、何をサポートしても出来ないのか?を

徹底的に、洗い出す。

mamaroma1109-kaigo-kiroku.hatenablog.com

 

そしたら、環境を整えたら、自分で出来ること。

環境を整えても、無理なこと。が分かる。

その無理なことを、どうやったら

しなくていいことにしていけるか?

なんかね、そう言うことばっかりやってたな。

 

まぁ、そうやって観察して環境調整してって

サポートするんだけど、日々出来ないことが

一つずつ増えていくんだよね〜。

 

最後の方は、私、眠ってるんだけど眠ってない。

みたいな状態が、毎日続いてて

イライラもMAXだったと思うもん。

人間、眠れないって、ほんと相当負担がかかる。

いつもだったら、大丈夫なことでも

イラついて怒鳴ったりしてた気がする。

 

ショートステイも、

1日2日行ってくれただけじゃ、心の平穏は、戻ってこない。

日々の雑用をこなすだけで、終わる。

1週間くらいショートに行って貰えたら

ようやく、心身のリフレッシュが

何とか出来るかな?って感覚だった。

 

介護をしている人が、健康でなければ

ダブルケアは、成り立たない。

でも、ダブルケアの当事者は、なかなか休む時間を

取ることが難しいのも、現状としてある。

 

だからこそ、ダブルケア当事者がどうやったら

自分の心身の健康を保つための行動が

出来るのかな?って、考えていきたいよね〜?

 

と、朧げに考えていたら

ダブルケア仲間のくろあささんからの紹介で

ダブルケアの研究をされている方とお会いしました。

 

その方も、介護を経験された方で

現在、大学院で、ダブルケア当事者の方が

自身の健康を後回しにしてしまうのを

どうやったら回避出来るのか?を研究しているそう。

 

その一環で、8月1日には、

ダブルケアの専門家をお呼びして

講演会を佐賀で開催されるそうです。

とても貴重な機会なので、

私も参加しようと思ってます。

講演会の情報は、ここにアップされる予定です。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100092713071961

 

私にとっては、とても身近なダブルケアだけど

まだまだ世間一般では、

認知度低いこともあるみたいなので

もっともっと、

介護と子育てを同時期にやっている人に

「もっと休んでいいんだよ。」

「自分の時間を楽しんでいいんだよ。」

って言うのを、

届けられたらいいな。と思いました。

 

ってことで、こんなランチを

たまには、友達と食べにいくのもありだよな。

と思うのです!

母の死を通して、自分の最後を考える

 

母が亡くなってから

気がついたら5ヶ月も経ってる。

mamaroma1109-kaigo-kiroku.hatenablog.com

母が亡くなったらどーなるんだろう。

って考えてたけど

ここ数年、施設に入ってたし

面会もなかなか出来ない状態だったから

あんまり実感がない。というのが実感。

 

とか言いつつ、諸々のお寺さん行事は

日程通りに進んでいくのです。

 

5月のゴールデンウィークには

「初施餓鬼」なるものに参加。

父の時は、こうやって母がやってたんだなぁ。

と、東京でのほほんと過ごしていた

父の死後のことに思い耽ったりする。

 

この初施餓鬼は、去年の初施餓鬼以降に

亡くなった方のご家族の方とか

それ以外の方の分お経を読み上げるので

1時間の長丁場。

 

てか、そもそも「初施餓鬼」とは?

と思い調べてみました。

jodo.or.jp

お施餓鬼は、布施の修行と呼ばれてるらしい。

お布施とは、お金のことだけじゃなく

お経をあげたりすることもお布施なんだって。

 

そっか、そーなんだね。

仏壇がまだ家にあるから

(その内、弟のとこに引っ越す予定)

ちゃんと毎日、お線香あげたり

お仏飯、あげたりしないとなんだなぁ。

(ごめん、かあしゃん最近サボってる。。。)

 

毎年、この時期になると

お寺さんから案内が入ってたような?

もうさ、これまでまったく

タッチしてなかったからさ

なーんも知らんのだよ。

多分、弟はもっと知らんはず。

 

こうやって、一つずつ一つずつ

初めましてのことをやっていくうちに

一通りのことを知り、出来るようになり

お寺さんとのお付き合いも

スムーズになっていくんだろうなぁ。

 

とか言いつつ、弟のとこに

仏壇が引っ越したら

私は、ほとんどタッチしなくなるんだよなぁ。

 

てか、私も夫も、お墓どーすんだ?

もう、そういうこと

考えてもおかしくない年齢になったなぁ。

私の実家は、浄土宗

夫氏の実家は、浄土真宗

はてさて、私たち死んだらどこに行く?

 

皆さん、終活ってやってますか?

納骨堂でもいいなぁ。霊園でも全然OK!

散骨するか?

どの方法が娘たちの負担にならないかな?

とか考えるよねー?

 

いやぁ、死んだ後のことも

考えなきゃいけないことたくさんあるね?

 

こうやって親は死んだ後も、

私たち子どもに考える機会を作ってくれる。

ある意味、これも、親の愛情じゃない?

とか思って、ほっこりしたりする。

 

私の周りには、ちゃんと

母と父の愛がある。

ここに居ないのに、ちゃんと愛を感じられる。

不思議だけど、そーなんだ。

静かに緩やかに母は父のもとへ逝きました。

認知症を発症して13年。

施設に入所して4年。

私の母が、12月4日に亡くなりました。

 

お通夜も葬儀も無事に終わりまして

母の年金やら銀行やら、諸々の手続きを

少しずつ進めているのですが

なんというか、あんまり悲しくないというか

それほど、落ち込んでない自分がいます。

 

「母と話せない。母に相談できない。」

という状況が、もう何年も続いていたので

その間に、

「母という人格がここに居ない。」

という状況に悲しみを感じ続けていたので

もしかしたら、

そこまで悲しみが押し寄せてこないだけ。

なのかもしれない。

 

それと、私自身が

母を看取る時にどうしたいか?

が明確にあったんだけど

それを実際に出来た。ってこともこの感覚に繋がってる気がする。

 

母の延命治療拒否の書類を

何度も何度も書くうちに

段々と、家族で看取りがしたい。

という気持ちが高まってて

だから自宅に連れて帰りたかったんだけど

実際の看取りは、病院だった。

 

けど、その病室で

私と娘っ子達の3人で看取ったのね。

その空間がとてもとても優しくて穏やかで

少しずつ少しずつ、

母の心臓が動かなくなっていくのを

3人で、寄り添いながら見ていて

悲しいんだけど、

あぁ、2号ちんが生まれてきた時と一緒だな。

って思った。

 

私と母と1号ちんと2号ちん。

このメンバーで、2号ちんの祝福をして

このメンバーで、母しゃんの看取りをする。

なんて言うか、

あぁ、このメンバーが良かったんやろな。

って思った。

 

その後、5分もしない内に弟家族もやってきて

その後の時間を一緒に過ごせたし

エンゼルケアも、

一緒に手伝いたいって言ったら

手伝わせて貰えたので

最後に、みんなで

母しゃんの体を拭いてあげて

看護師さんが、メイクをしているそばで

孫達3人が、ずっと見守ってる姿とか

弟のパートナーさんが、泣いてる姿とか

なんかもう、全部が幸せ過ぎて。

何枚も何枚も写真を撮った。

 

この幸せな看取りの時間を

少しでも残していたくて

この写真を見ることで何度も何度も

この時間を思い出したくてね。

 

父が亡くなった時に

弟は、父の亡骸を直視するのが嫌で、

体を拭きにこなかったから

母の時は、必ず拭いて貰いたいって思ってたのも出来たし

父の写真を撮りたいって言ったら、

「ダメ。」って言われて

撮れなかったけど、

母の写真は、ちゃんと残したし

もうね、自分が後悔していたこと

こうやりたいって思ってたこと

全部出来たから、なんかね

「満足!」みたいな感覚なんだよね。

 

母が亡くなったのに

変な感覚なんだけど、

これが今の正直な気持ち。

 

しかも、体はなくなったけど

なんか、まだどこかに居そうな気がして

変な感じだなぁって感覚です。

母の遺影は、この写真からにしました。

父の時も迷いに迷ったし

母のも、昔の写真とか出してきて

色々と探したけど

この1号ちんの入学と2号ちんの餅踏みの時に

ハニーフォトサロンのさなえちゃんに撮って貰った写真が

私が、母のことを思い出す時に出て来る母に

1番近いと思ったので、これにした。

 

そしたら

ご近所さんにも、従姉妹のおばちゃんにも

母らしいいい写真だね?

って言って貰えたので、

やっぱりこれで良かったんだな。

って思った。

 

にしても、お通夜や葬儀の時に

1号ちんに会う人会う人

「いやぁ〜智恵子にそっくり〜!!」

って言うので、1号ちんが苦笑してた。

 

母の遺影を選ぶ時に、

たくさん写真を出してきたけど

確かに、昔の写真を見ると、

そこに1号ちんがいるの。

血は、争えないね?

もう死んでいいよ。なんて決めれない。


認知症になったうちの母

今年になってから、複数の施設や病院を移りながら過ごしています。

 

施設を移る時とかね、病院に入院する時にね

「延命治療をするかしないか?」

を必ず聞かれてね、書類にサインしなきゃいけないの。

 

・心臓マッサージはしますか?

・人工呼吸器は装着しますか?

 

そういうことを一つずつ決めて

サインをするんやけどさ、毎回サインする前に胸が苦しくなる。

「もう、死んでいいよ。」
って、私が死を宣告するみたいな気がしてきて

自分が母を殺してしまうような気がしてきて

頭も体も、一瞬ストップしてしまう。

 

「母しゃんに聞いたら、なんていうかな?」

なんて考えてみても答えは出ないんだけど

結局、延命治療しません。

ってサインしてしまう。

 

後悔するかもしれないし

しないかもしれない

今は、サインしたけど

もしかしたら、気が変わるかもしれない。

 

母には死んで欲しくないけど

苦しい時間を過ごして欲しくもない。

 

きっと話し合ってたとしても

迷うんだとは思うけど

事前に、延命治療はどうしたいか?を

家族で話し合っておくといいかもしれません。

 

ほんと悩みは尽きないけど

まずは、話し合っておくのが良しですね。

きっと。

実母の看取りをどこでどんな風にするか、真剣に考えた。


先日、母が今入所している

老健施設から、連絡があって

主治医の先生からお話があるので

時間を取ってください。と言われました。

 

そんなん言われたら

なんか、大ごとなんだろうなぁ。って分かるやん?

 

主治医の先生に話を聞いてみると

全体的に、食事量が減ってて

排泄も、スムーズに行ってないことがあって

もしかしたら、看取りの期間に入るかも?

って言われたんです。

 

まぁ、一瞬パニックになったけど

とりあえず、本当に看取りになるのであれば

元のグループホームに戻って

看取りをしたいということをお伝えして

その日は、そのまま帰宅しました。

 

その話し合いの時に

介護記録の食事量を見てみたら

全量摂取している日があったり

3割しか摂取出来てない日があったり

結構、ムラがあったんだよね〜。

 

でさ、年齢を重ねていくとさ

食事量にムラが出ることがあるんだよね。

ほら、私達だって

20代の頃みたいには食べられなくなってるじゃない?

そんな感じで、全体的に食べられる量は減るし

日によって、変動することもおかしくないと思うの。

 

だから、本当に先生が言ってるみたいに

あと数ヶ月で看取りに入るかどうか

ちょっと、断定できないなぁ。って感じたの。

 

ぶっちゃけ、グループホームに戻ったら

食事量が戻ったりすることもあるし

母は、施設みたいな広いところよりも

少人数のグループホームの方が

安心するんだと思うしね。

安心したら、また食事量が戻る可能性もなくはない。

 

ということで、とりあえず

グループホームのケアマネさんに

連絡を取って、今の現状を報告して

今後の方針を決めようと思ったんだけど

その前に、家族の方針を決める方が

先決だよなぁ。と思って

まずは、夫氏に電話して

これまでの敬意を説明することにした。

 

話しているうちに、母を家に引き取って

自宅で、看取りの時期を過ごすのもありじゃない?

って思い始めた。

 

ヘルパーの仕事をしているときに

寝たきりの利用者さんを在宅介護されてるお宅もあったし

母の希望として、家で過ごしたい。

って、ずーーーーーっと言ってたしね。

 

ってことで、娘っ子たちにも聞いてみた。

どうやら母しゃんの状態が、良くないってこと。

このまま施設に入ったままだと

会えないまんまになっちゃうかもってこと。

私は、家に連れて帰ってきて

オムツ交換とか、食事介助とか

色々、やらなきゃいけないことは増えるけど

最後は、母しゃんがずっと住んでた家で

一緒に過ごしたいなぁ。って思うけど

どう思う?って。

 

そしたら、いいんじゃない?

って答えが返ってきた。

 

どんな風な看取りになるかなんて

まだまだ全然分かんないけど

「最後の最後は、自宅で迎えたい。」

「娘達と一緒に最後の時間を過ごしたい。」

って、私が自覚出来ただけでも一歩前進なのかもしれない。