女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

静かに緩やかに母は父のもとへ逝きました。

認知症を発症して13年。

施設に入所して4年。

私の母が、12月4日に亡くなりました。

 

お通夜も葬儀も無事に終わりまして

母の年金やら銀行やら、諸々の手続きを

少しずつ進めているのですが

なんというか、あんまり悲しくないというか

それほど、落ち込んでない自分がいます。

 

「母と話せない。母に相談できない。」

という状況が、もう何年も続いていたので

その間に、

「母という人格がここに居ない。」

という状況に悲しみを感じ続けていたので

もしかしたら、

そこまで悲しみが押し寄せてこないだけ。

なのかもしれない。

 

それと、私自身が

母を看取る時にどうしたいか?

が明確にあったんだけど

それを実際に出来た。ってこともこの感覚に繋がってる気がする。

 

母の延命治療拒否の書類を

何度も何度も書くうちに

段々と、家族で看取りがしたい。

という気持ちが高まってて

だから自宅に連れて帰りたかったんだけど

実際の看取りは、病院だった。

 

けど、その病室で

私と娘っ子達の3人で看取ったのね。

その空間がとてもとても優しくて穏やかで

少しずつ少しずつ、

母の心臓が動かなくなっていくのを

3人で、寄り添いながら見ていて

悲しいんだけど、

あぁ、2号ちんが生まれてきた時と一緒だな。

って思った。

 

私と母と1号ちんと2号ちん。

このメンバーで、2号ちんの祝福をして

このメンバーで、母しゃんの看取りをする。

なんて言うか、

あぁ、このメンバーが良かったんやろな。

って思った。

 

その後、5分もしない内に弟家族もやってきて

その後の時間を一緒に過ごせたし

エンゼルケアも、

一緒に手伝いたいって言ったら

手伝わせて貰えたので

最後に、みんなで

母しゃんの体を拭いてあげて

看護師さんが、メイクをしているそばで

孫達3人が、ずっと見守ってる姿とか

弟のパートナーさんが、泣いてる姿とか

なんかもう、全部が幸せ過ぎて。

何枚も何枚も写真を撮った。

 

この幸せな看取りの時間を

少しでも残していたくて

この写真を見ることで何度も何度も

この時間を思い出したくてね。

 

父が亡くなった時に

弟は、父の亡骸を直視するのが嫌で、

体を拭きにこなかったから

母の時は、必ず拭いて貰いたいって思ってたのも出来たし

父の写真を撮りたいって言ったら、

「ダメ。」って言われて

撮れなかったけど、

母の写真は、ちゃんと残したし

もうね、自分が後悔していたこと

こうやりたいって思ってたこと

全部出来たから、なんかね

「満足!」みたいな感覚なんだよね。

 

母が亡くなったのに

変な感覚なんだけど、

これが今の正直な気持ち。

 

しかも、体はなくなったけど

なんか、まだどこかに居そうな気がして

変な感じだなぁって感覚です。

母の遺影は、この写真からにしました。

父の時も迷いに迷ったし

母のも、昔の写真とか出してきて

色々と探したけど

この1号ちんの入学と2号ちんの餅踏みの時に

ハニーフォトサロンのさなえちゃんに撮って貰った写真が

私が、母のことを思い出す時に出て来る母に

1番近いと思ったので、これにした。

 

そしたら

ご近所さんにも、従姉妹のおばちゃんにも

母らしいいい写真だね?

って言って貰えたので、

やっぱりこれで良かったんだな。

って思った。

 

にしても、お通夜や葬儀の時に

1号ちんに会う人会う人

「いやぁ〜智恵子にそっくり〜!!」

って言うので、1号ちんが苦笑してた。

 

母の遺影を選ぶ時に、

たくさん写真を出してきたけど

確かに、昔の写真を見ると、

そこに1号ちんがいるの。

血は、争えないね?