女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

本当はもっともっと一緒にやりたかったことがある。

2号ちんが、

小学校に上がる前に夢を見た。

 

かあしゃんに

「4月からさ、2号ちんが小学校に上がるけん

帰って来た時に家にいて欲しいんだよね〜。」

と言いかけて

「あ、お母さん認知症

家に居ることが出来なかったんや。」

と思い出した。

 

「あ、やっぱりいいや。」

って、全部言うのをやめた。

 

夢の中の母は

「なんね、なんかあるなら言わんね。」

って言ったけど

言っても、それは叶えられないから言わなかった。

「いや、やっぱりいいや。どうにかするけん。」

って、夢の中でも言ってた。

 

本当は、もっともっと

お母さんにやって貰いたかったことが

たくさんたくさんあって

きっと母も、したかったことがあって

そんなんを考えてたら

なんか悔しくて悲しくて

なんとも言えんくなった。

 

在宅介護してる時

朝方、母が仏壇の前で泣いてることがあった。

「なんでーなんでーお父さん。」

って。

きっと母は、父が自分を置いて先に

亡くなったことが堪らなく悲しくって

ずっとずっと、こういう気持ちを

私達には、見せないように我慢してたんだな。

 

そして、そんな悲しみを抱えたまま

認知症になって、自分がどんどん出来なくなっていくこと

私達に、出来ない人だと思われるのが

嫌で嫌でしょうがなかったんだと思う。

 

でも私は

朝から母の泣いてる声なんか

聞きたくなかった。

あんな悲しそうな声で

泣いている母の声を聞いたら

自分が責められてるような気持ちになるし

もっと、私が何かしてあげられるんじゃないか。

って思いながらも

これ以上、何かしようと思っても

体も心も動かない、動きたいと思わない自分を

親不孝な子どもだと責めたくなるから。

 

 

でもきっと、あれが母の本音。

もっと色んなことを

やりたかったし、やってあげたかった。

人に迷惑かけて生きていくなんて

絶対にしたくなかったんだろうな。

と、思う。

 

私も、もっと甘えたかったなぁ。

もっと、娘っ子達の成長を

一緒に楽しみたかったなぁ。

 

って、おじいちゃんおばあちゃんと

一緒にいる子ども達の姿を見て

羨ましいなぁ。って思うんだ。

「いーなー。いーなー。」

って思うんだ。

私も、親子3世代で一緒にお出かけしたかった。

娘っこ達が、学校から帰ってくるのを

一緒に待って居たかったし

孫を預かって貰って、一緒に孫育てを楽しんで欲しかった。

 

でも、母はもう

自宅では暮らせない。

そう決断したのは私だもんね。

だって、そうしないと

もう、家族みんなが安心して暮らすことが

出来ない。って判断したんだもん。

 

あー、でも本当は

悲しいんだよな。

 

だって、この家族が安心して暮らす。

って所に、母が入れなくなるんだもん。

確かに、母は、安全な場所には行くけれど

母がやりたいことをやりたい時に

やれる場所じゃないのは、分かってたから。

 

こんな風に、パズルをやってた母も

この施設を出て、入院している間に

車椅子生活になって

私が話すことも理解出来なくなって

もう話も出来なくなってしまった。

 

もっとどうにか出来たんじゃないか。と

この頃に戻れたらと思ったりするし

私が、もっと母のことを気にかけてたらとか

もう、頭の中を色んな感情がぐるぐる駆け巡るけど

今のこの現実を受け止めていくしかない。

 

元気だった頃の母のようには

話せなくなってしまったけど

私は、私の頭の中にいる母に

これからも話をすると思うし

きっと、その問いかけには

私の頭の中にいる母は答えてくれると思う。

 

父が亡くなった後も

私は、そうやって自分の中の父に問いかけ

返事を貰って、決断したこともあるから

きっとこれからも、自分の中にいる

父と母に、私は問いかけ続けると思う。

 

そして、現実にいる母にも

会いに行ける時は、会いに行こうと思う。

あぁ、コロナじゃなかったらいいのになぁ。