女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

ごちゃまぜの心のまんま、私達は、愛を抱えて生きていく。

久しぶりに母に会った。

 

コロナの関係で面会が禁止になっていたけど

昨日、洗濯物を取りに行ったら

面会が大丈夫になっていたので

多分、4ヶ月ぶりくらいに母に会った。

 

前回会ったのは

病院に一緒に行った時

6月だったけど、たった4ヶ月で

こんなにも変わってしまうのかとすごくショックだった。

 

今の母は、車椅子に乗ってて

意識がどこかに飛んで行ってる。

 

6月は、まだこうやって

椅子に座っていたし

母としての人格は、奥に眠ってたけど

母としての意識みたいなものは

まだ、ここにあった。

けど、今回は、母としての意識も

ちょっと奥の方に行ってしまっていた。

なんていうか、ただそこにあるのは母の体って感じ。

 

悲しかったなぁ。

こうなるのが、怖くて嫌で

なるべく漢方薬だけでいきたかったし

薬を飲むと、こうなっていくのを見なきゃいけないのも

知ってたけど

これ以上、母の不穏が激しくなると

きっと母も辛いだろうな。と思って

薬を使う選択をしたけれど

実際に、この姿を見るとやっぱり、悲しい。

 

思わず、車椅子に座ってる母に

何度も何度も「大好きだよ」って言った。

何度も何度も、足を撫でて腕をさすりながら、何度も呟いた。

 

母が母じゃなくなったとしても

孫のことを認識出来なくなっても

私にとっては、めちゃくちゃうざくて

めんどくさくて、私の決めたことに

いちいち反対してくる、大好きな母には変わりない。

 

ただ生活しているだけで

それを感じる場面に遭遇するんだ。

バイトしてたら

母と同い年とか、母よりも年上の人達が

お孫さん連れて、買い物している姿を見て

「どーして、うちの母は

こうやって孫と買い物が出来なかったんだろう。

どうして、こんなに早く認知症になってしまったんだろう。」

って思うこともあるし

孫が生まれたから、娘の手伝いに行ってくる。

って話を聞いた時は

「あぁ、もう母は

孫の世話も私も世話も出来ないんだなぁ。」

って悲しくなってくる。

 

だって、私が小さい時にイメージしていたのは

私の子どもと母が遊んでる姿だったし

私の子どもが成人式を迎える時も

私と一緒に、それをお祝いしてくれる姿だったし

そういうのが、全部出来ないのは悲しい。

 

もっと早く結婚してれば良かった?

もっと早く子どもを産んでれば良かった?

 

そんな風に考えないこともないけど

それでも、今の夫氏じゃないと

母とここまで一緒に暮らすことは

出来なかったと思う。

 

私が納得いくまで

自宅で介護させてくれたのは

もうね、夫氏の協力がなかったら無理だったもん。

 

だから、これが最善で最良だったのは

心のどこかでは、ちゃんとわかってる。

それでも、この後悔というか、悲しさは

絶対に、出てきちゃう。

 

まだまだ、私は、母と一緒にいたかったし

まだまだ、母に甘えたかったし

まだまだ、母にうるさく言われて、それに反発してたかった。

 

私は、きっといつまでも

大好きで大嫌いな母と一緒にいたかったんだなぁ。

って思う。

 

母と思い出話が出来なくなっても

母とどこかに出かけることが出来なくなっても

私の中に、母から貰ったものがしっかりと

根付いているのは、わかる。

 

どんどん母の物言いに似てきているのも

子ども達に話しかけているときに感じる。

子ども達と笑いあってる時に感じる。

私の中に、しっかりと母がいるのが分かる。

 

私は、ちゃ〜んと母の子どもなんだ。



後悔とか悲しさとか

それでもよくやったはずとか

きっと、こんな気持ちを全部抱えたまま

私達は生きていくんだと思う。

 

綺麗さっぱり、何の迷いもない。

なんて人生は、どこにもないんだ。

それでも、私達は

毎日、自分の中にある愛を感じて

周りにある愛を感じて

混沌としたまま、生きていくんだと思う。