女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

私は、母を捨てた悪い子だから、在宅での看取りなんて最後まで出来るはずがない。

今日、車を運転しながら、ふと

「本当は、在宅で看取りたかったなぁ。」

って気持ちが湧いてきた。

 

助産院で出産したいって言った時と同じで

在宅介護での看取りをしたいことへの

周りの反対に反論出来なかった。

 

私は、長女を出産する時に、高校生の頃にテレビで観た

吉村病院みたいな産院か、もしくは助産院で出産したいと思ってた。

でも、あの頃は、周りに助産院で出産した人もいなければ

助産院がどこにあるのか?も知らなかった。

周りは、そんな私を心配して、何かあったらいけないから。と

一般的な産院での出産を勧めてくれた。

しかも、まだあの頃の私は、自分が今、本当はどうしたいと思っているか?

って自分の本音との向き合い方も知らなかったし

周りが反対するほどの険しい道を自分が歩んでいける自信もなかった。

 

その後、長女を出産し、色んなことを学びながら

たくさんたくさん、自分の本音と向き合う時間を作ってきたし

子育てのことも、心のことも、勉強してきた。

だからこそ、あの頃よりは、自分がどうしたいか?を

はっきりと認識出来るようになっていたと思う。

 

だからなのかもしれないが、長女の時から願っていた

助産院での出産を次女の時に経験出来た。

その過程でも、どんな風に妊娠期間を過ごしたいか?

どんなお産がしたいか?に向き合ってきていたから

自分がどんな風にしたいと思っているのかを

きちんと表明出来るようになっていたはずだった。

 

はずだったのに、なぜか、それが難しかった。

施設のスタッフさんに、「在宅で介護をしたいと考えているのですが。」

と相談したら、「それは難しいと思いますよ。」と言われた。

「数時間おきに痰の除去をしないといけないですよ。

それは、深夜も変わらずなので、負担が大きいですけど、大丈夫ですか?

お子さんもいるから、無理されない方がいいですよ。

数時間おきに、体位変換もしないと褥瘡が出来たりしますし

想像されている以上に大変だと思います。」

その声に、色々と意を唱えてみた。

 

自分自身、ヘルパーの資格を持っているし

在宅介護についての知識も、多少はある。

寝たきりになった母の介護のイメージも、全くないわけではない。

訪問看護も、在宅医療の先生も探せばいいし、介護ヘルパーさんも

最大枠、入って貰うようにしたらいい。

やれないかもしれないけど、やり方を模索してみてもいいと思うんです。と

やってみたいと思うんです。って話してた。

けど、そうやって反論したし、本当にそう思ってた。けど

それでもいいから、大変でもいいから、苦労してもいいから

それでも在宅で看取りがしたいんです。と言い切れなかった。

 

在宅で介護していた頃の苦しさが、まざまざと蘇ってきて

あの、毎日イライラしながら母の様子を監視して

別の部屋に居る、母の行動を感じ取って

危ないことはないか、変なことはしてないか?って

ずっと、神経研ぎ澄ませてるあの時間が蘇ってきた。

 

あの精神状態に、今の私は耐えられるのか?

自分の都合で、スケジュールを変更し辛い状況になっている現在

疲れたからと、休める状況じゃない今なのに、それは可能なのか?

それに加えて、自分の体力が持つのか?も心配だし

(実際にあの頃よりは、年齢を重ねているのは確か)

またあの頃みたいな、ハードさに家族を巻き込むのか。。。

とも考えた。

そう、あのハードさの中に、また家族を一緒に連れて行くのか?と

そう思ったら、気持ちが止まってしまった。

母の認知症の症状は最大限進み、寝たきりの状態になっている

私の静止も聞かないような状態だったあの頃とは

比べ物にならないくらい、母の状態は変わってはいる。

けど、本当に看取りをして大丈夫なのか?

終わりがはっきりしない。母の死を待つだけの時間になりかねない

在宅での看取りに本当に踏み切るのか?

そう自問自答しているうちに、時間はすぎていった。

そして、母は、亡くなった。

 

それでも、私は、やっぱり母を自宅で看取りたかったんだなぁ。って

今日、ふと自分の本当の気持ちがブワッと出てきた。

あぁ、これ口に出した方がいい気持ちだなぁ。って思ったので

口に出したら、泣けてきた。

「あぁ、看取りたかったよね〜。母しゃん母しゃんって

娘達と声かけながら、食事したり、体拭いてあげたり

もう、臭くない?とか言いながら、ちゃんと生きてる証拠だよ〜。

なんて娘をいなしながら、おむつ変えたりしたかったね〜。

あぁ、もうほんと、そんな風にしたかったのに

なんでしなかったんだろうね〜。」

って声に出してたら、あぁ、そっか。って思った

 

私、ちゃんと最後まで、在宅の看取りが出来るかどうか自信がなかったんだな。

だって、私は、これまでも、色んなことをやり始めてきて

最後まで、ちゃんとやり切った。と思ったことがない。

全部、中途半端で投げ出してばっかりだったから。

 

よくよく考えたら、ちゃんと最後までやり切ったことも

たくさんあるんだよ。自分ではそう思ってなかっただけで。

しかも、その最後って、じゃあどこよ。って話でもあるじゃん?

何を基準に最後って規定するの?

その時、その状況で最後の定義なんて変わることもあるでしょ?

 

でも、あの頃の私は、本当に、自分のこと中途半端な人間だと思ってたからね〜。

だから、この在宅での看取りも、自分が最後まで出来るか信じられなかった。

そう、私は、私自身を信頼出来てなかったんだよね。あの時。

だから、周りの心配の声を大事にしちゃったんだよね。自分の気持ちより。

 

でさ、なんで、自信がなかったのか?なんだけど

確かに、自分のこと中途半端な人間だと思っていたのもあるんだけどさ

「お母さんを捨てた悪い子の私が、そんなこと出来るはずがない。」

って思ってたんだよーーーーーーー!

ちょっとびっくりして運転しながら号泣しちゃったんだけど。

 

私、母に施設に入所してもらったことも、入院してもらったことも

ちゃんと自分の中で、納得して預けてたはずなのに

母のこと捨てた。って思ってたみたいーーーー。

あぁ、そりゃ自分に自信なんて持てないわー。

てか、そんな罪悪感抱えてたら、自分のこと信頼出来るわけないね。

そりゃ、難しい。

 

「私は、母を捨てた悪い子だから、きっと今度も

母のことを最後まで介護出来るわけがない。」

って思ってた。

 

でも、そのことに気づいたら

あぁ、私、お母さんのこと大好きだったんだなぁ。って思った。

お母さんの子育ては、嫌だったし

認知症になった頃のお母さんも大嫌いだったし

夕食時に、会社の文句言うお母さんも大嫌いだったし

自分の価値観押し付けてくるお母さん大嫌いだったし

もう、本当に嫌だったはずなのに

大好きだったんだよ。マジで。

 

もっともっと寝たきりの母に話したかったことがあった。

何気ない日常の色んなことを聞いてるか聞いてないか分かんないけど

母に伝えたかった。

そして、父や母に育てて貰った記憶の残るこの家で

最後まで一緒に居たかった。

でも、それが出来なかったんだ。

 

これが私の正直な気持ちなんだな。

 

こうやって、私は、在宅での看取りは出来なかったけど

最後、女4人だけの時間を過ごせたのも、

(次女を出産した時と同じ編成だったのに気づいた時は

なんか、生まれて死んでいくってこういうことなんだな。

って、心の中に何かが染み込んだような気がしたよ。)

弟も一緒に、母の体を拭いてあげられたのも、

娘や、姪っ子達が、母の死を前に

色んなことを感じているのを見ることが出来たことも

全部、私が看取りの時に感じたかったことを感じられてた。

 

在宅での看取りが、したかったのは

こういう時間をもっともっとたくさん作れたらいいな。

と思っていたからだから、量的には足りないかもしれないけれど

自分のやりたいこと感じたいことを感じていたから

母を見送る時に、とても心が満ち足りてたんだなぁ。って思う。

 

いやぁ、しかし、自分が母のことを捨てたから

そんな自分が在宅での看取りを出来るはずなんてない。

って思ってたなんて、びっくりだったわ。

 

こうやって、育児も介護も

自分の中にある、自分に対する思い込みとかを

見える形にして、目の前に持ってきてくれる。

その度に、衝撃が走って、泣いちゃうことが多いけど

これも、これからの私には、必要な衝撃だったんだろうな。って思う。



ていうか、ほんと人の心って捉え所なくて、不思議だね。

なんで突然、こんなことになったのか

さっぱり分からんけど、なんていうか、すんごいスッキリした!笑

 

お母さん、自分の家で死にたい。っていう

お母さんの願いは叶えてあげられんかったし

在宅で看取りたいっていう

私の願いも叶えられんかったけど、

多分、あの時の私にとって、最大の努力はしたと思う!多分!笑

だけん、許してね〜。って感じです。

 

こうやって、私が感じたことをそのまま書くと

すごく自分勝手なことを言っているように感じて

イライラする人もおるかなぁ?

でも、残された家族は、こうやって自分が出来なかったことや

心に残っている後悔なんかを、少しずつ自分が受け止められる形にして

一緒に居た人がいなくなった事実を受け止めて行くんだと思います。

なので、なんじゃそれ!って思ってもスルーして貰えると嬉しいです!