女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

年老いた親が、意味の分からないことを言い始めた時。

アンソニーホプキンス主演の

「ファーザー」観てきました。

youtu.be

映画のホームページに書いてある

「老いによる思い出の喪失と

親子の揺れる絆を描く

かつてない映像体験で心を揺さぶる」

と言う言葉、そのものの体験をしてきました。

 

観終わってから思ったのは

「あぁ、母も、この混沌の中に居たんだな。」

ってこと。

 

そして、その混沌を

周りの人間が理解出来ないことは

もしかしたら、仕方のないことなのかもしれない。

と思った。

 

この混沌の中にいる人の中に

秩序を作り上げることは不可能だし

その混沌の中にいることを理解した上で

彼らのその混沌に寄り添えるのか?

って問われたら、身内であればある程

難しいと思うから。

 

観ている間中、観客も一緒に

その混沌の中に投げ出されてしまって

何度も何度も、混乱する。

「え?どう言うこと?」

って、何度も何度も、確認したくなる。

 

「え、だって、さっきはこうだったじゃん。」

って、最初は思っているけれど

何度も、そう言うことが重なってくると

さっきの自分の記憶すら怪しくなってきて

自分の記憶が、本当にそうだったのか?

って、不安になってくる。

 

この過程こそが、この映画の凄さだし

認知症と診断されている人たちの

混乱と恐怖を、追体験しているような

そんな気持ちになる。

 

自分の記憶が不確かになってくると

「ちゃんと覚えていなきゃ。」

って思い始めるし、自分の頭の中にある

記憶を確かめるように、頭の中で再生しようとする。

 

それでも、次の瞬間には

自分がこうだと思っていたものが

違うことになっていく。

 

その過程を観ている私達にも

体験させるこの映画は

これから先、介護をする人

そして、介護される側になる人

に、観ていて欲しいな。と思う。

 

ちょっとね、あまりの衝撃に

しばらく、ブログ書けなかったよ。

 

こんな不安の中に

母は、居たのに

その不安に寄り添えなかったし

感じ取れなかったな。と

めちゃくちゃ反省してしまった。

 

とは言え、身近すぎると

この辺りは、難しいので

今、振り返ってみても、難しいのかもしれんけど

この映画を観ていたら

もう少し、母に対する態度は

違っていたのかな?とも思ったりする。

 

まぁ、どれだけ心を砕いて

介護をしても、後悔するんだろうけどね。
 

本当はもっともっと一緒にやりたかったことがある。

2号ちんが、

小学校に上がる前に夢を見た。

 

かあしゃんに

「4月からさ、2号ちんが小学校に上がるけん

帰って来た時に家にいて欲しいんだよね〜。」

と言いかけて

「あ、お母さん認知症

家に居ることが出来なかったんや。」

と思い出した。

 

「あ、やっぱりいいや。」

って、全部言うのをやめた。

 

夢の中の母は

「なんね、なんかあるなら言わんね。」

って言ったけど

言っても、それは叶えられないから言わなかった。

「いや、やっぱりいいや。どうにかするけん。」

って、夢の中でも言ってた。

 

本当は、もっともっと

お母さんにやって貰いたかったことが

たくさんたくさんあって

きっと母も、したかったことがあって

そんなんを考えてたら

なんか悔しくて悲しくて

なんとも言えんくなった。

 

在宅介護してる時

朝方、母が仏壇の前で泣いてることがあった。

「なんでーなんでーお父さん。」

って。

きっと母は、父が自分を置いて先に

亡くなったことが堪らなく悲しくって

ずっとずっと、こういう気持ちを

私達には、見せないように我慢してたんだな。

 

そして、そんな悲しみを抱えたまま

認知症になって、自分がどんどん出来なくなっていくこと

私達に、出来ない人だと思われるのが

嫌で嫌でしょうがなかったんだと思う。

 

でも私は

朝から母の泣いてる声なんか

聞きたくなかった。

あんな悲しそうな声で

泣いている母の声を聞いたら

自分が責められてるような気持ちになるし

もっと、私が何かしてあげられるんじゃないか。

って思いながらも

これ以上、何かしようと思っても

体も心も動かない、動きたいと思わない自分を

親不孝な子どもだと責めたくなるから。

 

 

でもきっと、あれが母の本音。

もっと色んなことを

やりたかったし、やってあげたかった。

人に迷惑かけて生きていくなんて

絶対にしたくなかったんだろうな。

と、思う。

 

私も、もっと甘えたかったなぁ。

もっと、娘っ子達の成長を

一緒に楽しみたかったなぁ。

 

って、おじいちゃんおばあちゃんと

一緒にいる子ども達の姿を見て

羨ましいなぁ。って思うんだ。

「いーなー。いーなー。」

って思うんだ。

私も、親子3世代で一緒にお出かけしたかった。

娘っこ達が、学校から帰ってくるのを

一緒に待って居たかったし

孫を預かって貰って、一緒に孫育てを楽しんで欲しかった。

 

でも、母はもう

自宅では暮らせない。

そう決断したのは私だもんね。

だって、そうしないと

もう、家族みんなが安心して暮らすことが

出来ない。って判断したんだもん。

 

あー、でも本当は

悲しいんだよな。

 

だって、この家族が安心して暮らす。

って所に、母が入れなくなるんだもん。

確かに、母は、安全な場所には行くけれど

母がやりたいことをやりたい時に

やれる場所じゃないのは、分かってたから。

 

こんな風に、パズルをやってた母も

この施設を出て、入院している間に

車椅子生活になって

私が話すことも理解出来なくなって

もう話も出来なくなってしまった。

 

もっとどうにか出来たんじゃないか。と

この頃に戻れたらと思ったりするし

私が、もっと母のことを気にかけてたらとか

もう、頭の中を色んな感情がぐるぐる駆け巡るけど

今のこの現実を受け止めていくしかない。

 

元気だった頃の母のようには

話せなくなってしまったけど

私は、私の頭の中にいる母に

これからも話をすると思うし

きっと、その問いかけには

私の頭の中にいる母は答えてくれると思う。

 

父が亡くなった後も

私は、そうやって自分の中の父に問いかけ

返事を貰って、決断したこともあるから

きっとこれからも、自分の中にいる

父と母に、私は問いかけ続けると思う。

 

そして、現実にいる母にも

会いに行ける時は、会いに行こうと思う。

あぁ、コロナじゃなかったらいいのになぁ。

 

本当はもっともっと一緒にやりたかったことがある。

2号ちんが、

小学校に上がる前に夢を見た。

 

かあしゃんに

「4月からさ、2号ちんが小学校に上がるけん

帰って来た時に家にいて欲しいんだよね〜。」

と言いかけて

「あ、お母さん認知症

家に居ることが出来なかったんや。」

と思い出した。

 

「あ、やっぱりいいや。」

って、全部言うのをやめた。

 

夢の中の母は

「なんね、なんかあるなら言わんね。」

って言ったけど

言っても、それは叶えられないから言わなかった。

「いや、やっぱりいいや。どうにかするけん。」

って、夢の中でも言ってた。

 

本当は、もっともっと

お母さんにやって貰いたかったことが

たくさんたくさんあって

きっと母も、したかったことがあって

そんなんを考えてたら

なんか悔しくて悲しくて

なんとも言えんくなった。

 

在宅介護してる時

朝方、母が仏壇の前で泣いてることがあった。

「なんでーなんでーお父さん。」

って。

きっと母は、父が自分を置いて先に

亡くなったことが堪らなく悲しくって

ずっとずっと、こういう気持ちを

私達には、見せないように我慢してたんだな。

 

そして、そんな悲しみを抱えたまま

認知症になって、自分がどんどん出来なくなっていくこと

私達に、出来ない人だと思われるのが

嫌で嫌でしょうがなかったんだと思う。

 

でも私は

朝から母の泣いてる声なんか

聞きたくなかった。

あんな悲しそうな声で

泣いている母の声を聞いたら

自分が責められてるような気持ちになるし

もっと、私が何かしてあげられるんじゃないか。

って思いながらも

これ以上、何かしようと思っても

体も心も動かない、動きたいと思わない自分を

親不孝な子どもだと責めたくなるから。

 

 

でもきっと、あれが母の本音。

もっと色んなことを

やりたかったし、やってあげたかった。

人に迷惑かけて生きていくなんて

絶対にしたくなかったんだろうな。

と、思う。

 

私も、もっと甘えたかったなぁ。

もっと、娘っ子達の成長を

一緒に楽しみたかったなぁ。

 

って、おじいちゃんおばあちゃんと

一緒にいる子ども達の姿を見て

羨ましいなぁ。って思うんだ。

「いーなー。いーなー。」

って思うんだ。

私も、親子3世代で一緒にお出かけしたかった。

娘っこ達が、学校から帰ってくるのを

一緒に待って居たかったし

孫を預かって貰って、一緒に孫育てを楽しんで欲しかった。

 

でも、母はもう

自宅では暮らせない。

そう決断したのは私だもんね。

だって、そうしないと

もう、家族みんなが安心して暮らすことが

出来ない。って判断したんだもん。

 

あー、でも本当は

悲しいんだよな。

 

だって、この家族が安心して暮らす。

って所に、母が入れなくなるんだもん。

確かに、母は、安全な場所には行くけれど

母がやりたいことをやりたい時に

やれる場所じゃないのは、分かってたから。

 

こんな風に、パズルをやってた母も

この施設を出て、入院している間に

車椅子生活になって

私が話すことも理解出来なくなって

もう話も出来なくなってしまった。

 

もっとどうにか出来たんじゃないか。と

この頃に戻れたらと思ったりするし

私が、もっと母のことを気にかけてたらとか

もう、頭の中を色んな感情がぐるぐる駆け巡るけど

今のこの現実を受け止めていくしかない。

 

元気だった頃の母のようには

話せなくなってしまったけど

私は、私の頭の中にいる母に

これからも話をすると思うし

きっと、その問いかけには

私の頭の中にいる母は答えてくれると思う。

 

父が亡くなった後も

私は、そうやって自分の中の父に問いかけ

返事を貰って、決断したこともあるから

きっとこれからも、自分の中にいる

父と母に、私は問いかけ続けると思う。

 

そして、現実にいる母にも

会いに行ける時は、会いに行こうと思う。

あぁ、コロナじゃなかったらいいのになぁ。

 

逃げてるんじゃない。向き合い方が違うだけかも?

母の認知症が発覚してから

ずっと、主たる介護者は私だった。

弟も一緒に住んでた時期も

弟は、何もしてなかったなぁ。



そういう状態がずっと続いてて

何をするにも、私だけって言う状態に

なんだか、ムカついてた。

 

「2人のお母さんなのに、

なんで私ばっかり色んなことやんなきゃいけないの?」

って。

 

でもね、この前突然

「あぁ、こういう現実を見るのが

怖かったんだなぁ。」って思った。

 

母の面会をした時に

母が車椅子に乗ってて

ほとんど何の感情も動いてない姿を見て

めちゃくちゃ悲しかったんだけど

それと同時にね、弟が母の介護に

全くノータッチなことに、

突然、納得したんだよね〜。

 

きっと弟は、母のこんな姿を見たくない。

現実を受け止めたくないんだなぁって。

私も、弟と同じように

母がグループホームに入所している時に

面会に行けなくなったことがあった。

 

面会に行かないといけないって思っても

そこで、母の認知症が進んでしまっているのを

見るのも怖かったし

帰る時に、その場所に母を残していくのが

その時の、残されていく時の母の表情を見るのが

そう言うのが、全部怖くて行けなかった。

 

その時の私も、弟も怖かったんだよね。

自分の手を使わずに、

誰かに託している状態だとか

母が段々といろんなことを出来なくなったり

忘れてしまったりしていく姿を

直視したくなかったんだなぁって。

 

そりゃ、私だって、

そんなの直視したくないけど

きっと、私は、そう言う現実を見ることで

そのあとに、何が生まれるかを知ってるから

いや、その先にあるものを見たいと思っているから

痛くても、怖くても

やっぱり見ようと思ってしまうのかもしれない。

 

 

弟は、父が死んだ時も

同じだったかも?

 

父の最後の湯浴みをしてる時

私は母と一緒に

父の湯浴みの手伝いをしたけど

弟は自分の部屋から一切出てこなかった。

 

あの時は、

「最後なのになんで?」

って思ったし

「長男なのに、出てこないって何なん!」

って思ったけど

弟の向き合い方はこういう向き合い方なのかもなぁ。

 

私は痛くても、辛くても

なるべく、それを見てみたい。し

直接自分が体験したい。と思ってる。

 

弟は、そうじゃない。

 

ってだけのことだったのかもなぁ。

それでも、口も手もお金も出さないのは

ある意味、ありがたかったのかもなぁ。

手もお金も出さないけど

口は出す。なんてことはなかったから

私の好きなように、私が思うように

介護出来たのは、幸せだったのかもしれないっす。

 

ごちゃまぜの心のまんま、私達は、愛を抱えて生きていく。

久しぶりに母に会った。

 

コロナの関係で面会が禁止になっていたけど

昨日、洗濯物を取りに行ったら

面会が大丈夫になっていたので

多分、4ヶ月ぶりくらいに母に会った。

 

前回会ったのは

病院に一緒に行った時

6月だったけど、たった4ヶ月で

こんなにも変わってしまうのかとすごくショックだった。

 

今の母は、車椅子に乗ってて

意識がどこかに飛んで行ってる。

 

6月は、まだこうやって

椅子に座っていたし

母としての人格は、奥に眠ってたけど

母としての意識みたいなものは

まだ、ここにあった。

けど、今回は、母としての意識も

ちょっと奥の方に行ってしまっていた。

なんていうか、ただそこにあるのは母の体って感じ。

 

悲しかったなぁ。

こうなるのが、怖くて嫌で

なるべく漢方薬だけでいきたかったし

薬を飲むと、こうなっていくのを見なきゃいけないのも

知ってたけど

これ以上、母の不穏が激しくなると

きっと母も辛いだろうな。と思って

薬を使う選択をしたけれど

実際に、この姿を見るとやっぱり、悲しい。

 

思わず、車椅子に座ってる母に

何度も何度も「大好きだよ」って言った。

何度も何度も、足を撫でて腕をさすりながら、何度も呟いた。

 

母が母じゃなくなったとしても

孫のことを認識出来なくなっても

私にとっては、めちゃくちゃうざくて

めんどくさくて、私の決めたことに

いちいち反対してくる、大好きな母には変わりない。

 

ただ生活しているだけで

それを感じる場面に遭遇するんだ。

バイトしてたら

母と同い年とか、母よりも年上の人達が

お孫さん連れて、買い物している姿を見て

「どーして、うちの母は

こうやって孫と買い物が出来なかったんだろう。

どうして、こんなに早く認知症になってしまったんだろう。」

って思うこともあるし

孫が生まれたから、娘の手伝いに行ってくる。

って話を聞いた時は

「あぁ、もう母は

孫の世話も私も世話も出来ないんだなぁ。」

って悲しくなってくる。

 

だって、私が小さい時にイメージしていたのは

私の子どもと母が遊んでる姿だったし

私の子どもが成人式を迎える時も

私と一緒に、それをお祝いしてくれる姿だったし

そういうのが、全部出来ないのは悲しい。

 

もっと早く結婚してれば良かった?

もっと早く子どもを産んでれば良かった?

 

そんな風に考えないこともないけど

それでも、今の夫氏じゃないと

母とここまで一緒に暮らすことは

出来なかったと思う。

 

私が納得いくまで

自宅で介護させてくれたのは

もうね、夫氏の協力がなかったら無理だったもん。

 

だから、これが最善で最良だったのは

心のどこかでは、ちゃんとわかってる。

それでも、この後悔というか、悲しさは

絶対に、出てきちゃう。

 

まだまだ、私は、母と一緒にいたかったし

まだまだ、母に甘えたかったし

まだまだ、母にうるさく言われて、それに反発してたかった。

 

私は、きっといつまでも

大好きで大嫌いな母と一緒にいたかったんだなぁ。

って思う。

 

母と思い出話が出来なくなっても

母とどこかに出かけることが出来なくなっても

私の中に、母から貰ったものがしっかりと

根付いているのは、わかる。

 

どんどん母の物言いに似てきているのも

子ども達に話しかけているときに感じる。

子ども達と笑いあってる時に感じる。

私の中に、しっかりと母がいるのが分かる。

 

私は、ちゃ〜んと母の子どもなんだ。



後悔とか悲しさとか

それでもよくやったはずとか

きっと、こんな気持ちを全部抱えたまま

私達は生きていくんだと思う。

 

綺麗さっぱり、何の迷いもない。

なんて人生は、どこにもないんだ。

それでも、私達は

毎日、自分の中にある愛を感じて

周りにある愛を感じて

混沌としたまま、生きていくんだと思う。

 

わからないだろうから、無理やりにするんじゃなくて

先月のことだけど

2回、母と一緒に、病院へ検査へ行きました。

 

1度目は、CTの検査。

CTの検査ってさ、点滴して

あの狭い機械の中に運ばれていくじゃない?

 

認知症の母にとって

すごくストレスになることばっかりを

いっぺんにしなきゃいけないからさ

なるべく、苦痛を取り除いてあげたいし

なるべく、訳わからず何かをされる。

っていう状況を減らしたかった。

 

だからね、一々説明した。

先生や看護師さん達も

一応母に、説明してくれようとしてるんだけど

母は、聞いてない感じのことが多くってね

でも、私が「お母さん」って呼びかけると

ちゃんと目があって、話を聞いてくれる。

 

だから、一々

先生や看護師さんが行ったことを

私が、もう一度、母に伝える。

めんどくさいって思われるかもしれんけど

きっと、この方が、母は落ち着いて

いろんなことを受けられるんじゃないか?

って思って、やってみた。

 

1日目のCTは

途中で、暴れたっぽい。

中に着いていく事はできなかったので

詳しくは知らないけど

途中で、叫んでる声は聞こえたから。

 

でも、看護師さんがなだめてくれたのか

終わった時に中に入ったらかあしゃん寝てた。

 

起き上がらせる時に

めちゃくちゃ怖がったから

私が、正面からのサポートに回って

「お母さん、私に捕まれば大丈夫やけん。」

って言ったら、安心したみたいで

暴れることなく、ベッドから降りることが出来た。

 

2回目の時は、胃カメラの日で

この日は、前回大丈夫だったから

大丈夫かなぁと思って、この部屋の前で別れた。

そしたらね、しばらくしたら

看護師さんが出てきて

「お母さん、車椅子から、立とうともしないんです。」

って言われて、中に入ったら

目も合わせてくれないくらい、怒ってた。

 

なんで怒ったのかも分からないから

どうしようもないけど、声かけながら

なんとかベッドに移動して貰ったけど

そこからは、頑として動かなくなってしまった。

 

病院のことも、先生のことも

看護師さんのことも

色んなことが頭の中を駆け巡るけど

娘っ子達の育児で、学んだ

「本人の言い分を聞いた方が、そのあとの立ち直りが早い。」

ってのは、お母さんにも通用すると思ってるので

そこは、周りの迷惑をわかりつつも

調整してもらえないかどうかを聞いてみる。

 

だって、やりたくないことを無理やりやらされるのが嫌で

頑なに拒否している人を無理やり

言うこと聞かせても、そのあとの弊害が大きいもんね。

 

と思ってたら、看護師さんが

「お母さん、我慢強い方だったんじゃないですか?」

って、言われた。

 

もうね、ドンピシャ。

昔っから、周りの顔色を伺って

何か粗相をしないように。って

いっつも、我慢している人だった。

親戚の集まりの時も

自分だけ、台所で料理しながら

テーブルに料理運んで、親戚達が言いたい放題の中

黙って、笑いながら、そこにいることが多かったし

多分、会社でも、自分が思ったことは

周りの様子を伺いながら

言わない方がいいな。と思ったら

グッと我慢してた方なんだと思う。

(あ、でも、顔には出てたはず。

めっちゃ、顔に出やすいタイプだから。。。)

 

でも、なんかね

看護師さんにそう言って貰えて

私の方が、ホッとしたんだよね。

 

なんて言うか

「もう、無理しなくていいし

無理させなくてもいいのかもしれない。」

って。

 

確かに、先生にも看護師さんにも

迷惑をかけたのは間違い無いんだけど

それでも、母の気持ちをここでは尊重しても

大丈夫ですよ。

って言われた気がしたんだよね。

 

どうしてもさ、子育ても介護も

「人に迷惑をかけちゃいけない。」

って行動を制限することが多いけど

そうしなくてもいい場面もあると思うんだ。

 

だからね、この時に

この看護師さんがこう言ってくれたのは

私にとっても、母にとっても

とっても、嬉しいことだったのです。

 

でね、結局

このまま無理矢理しても

めちゃくちゃ大変になるだけなので

時間を後ろにずらして貰って

検査しようってことになったから

「一緒に、外に行こう。」

って促して、一緒に、検査室の外に出たんだよ。

 

そしたら、待合室の椅子に

座らずに、Uターンして

検査室に入って、ベッドに座ったんだよね。

「ん?」

って、そこにいた看護師さん含め

全員で、どう言うこと?

って混乱したんだけど

「もしかしたら、このまま検査出来るかもしれません。」

ってなって

急いで、先生呼び戻したよね。

 

そしたら、そこからは

すこぶるスムーズで

あっという間に検査終わった。

 

いや、ほんと

子育ての時に学んでて、良かったと

心底思った。

 

分からないだろうからって

嫌がっていることを無理矢理させようとしたって

弊害しかなくって

こうやって、一旦、やめてみるのも手だし

別日に設定し直すのも手だよね。

 

でもそれには、本当に

たくさんの手が必要なんだよね。

誰か一人でやろうとしたら

その人の生活が、崩れてしまう可能性が

高くなってしまうから。

 

いやぁ、でも

この体験は、まじで面白かったし

「あぁ、私が、こうじゃ無いか。」

って考えて、やってきたことって

母にとっては、間違ってなかったかもな。

って、ちょっとだけ安心した。

母と過ごす時間は、穏やかで優しい時間に変化した。

現在、入院中の母が体調不良だと連絡があり

他の病院で、検査して来て欲しい。

と、先日、連絡がありました。

 

「他の病院で検査してもらわないといけないくらい

体調が悪いのかなぁ?」

とか

「もしかして、癌とかを疑ってるのかなぁ?」

とか、もうね、こういう時って

悪いことしか浮かばない。

 

でも、とりあえず、病院にいって

検査しないと、結果は分からないから

母を連れて、病院に検査しに行く。

 

1回目は、義理の母が付いて来てくれて

私が色んな手続きしている間

母の側で、見守ってくれてた。

 

2回目は、大雨予報で、スクールが

オンラインに切り替わってたので

1号ちんが、付いて来てくれた。

母は、ずっと手に何かを持って
いじっている方が落ち着くらしく
点滴のチューブを持って引っ張ったり、丸めたりしようとするので
髪を結ぶゴムを渡してみたり
このキーホルダーを渡してみたりして

チューブをいじらないようにしてたんだけど
ふと、思い立って
「1号ちんの背中をマッサージしてあげて。」
って言ってみたら、やってくれた。
 
私も、小さい頃から
母にこうやって、マッサージして貰って
妊娠してた時も
出産した後も
たまに、こうやって母の前に寝転んで
腰や背中をマッサージして貰ってたんだ。
 
母が、手に何かを持って
いじっている動作をしているのは
この時の名残なのかもしれないなぁ。
 
家にいた最後の頃も
ずっと、洋服を畳んだり
本を移動させたりを
何度も何度も繰り返してた。
 
もしかしたら、もっと私が
家にいて、家事を丁寧にやることが
できる人だったら
一緒に、横に付いて、寄り添いながら
母の手を使って色んなことを一緒に
まだ出来てたのかもなぁ。
なんて思ったりしてね。
 
やれなかったことがたくさん出てくるけど
きっと、こうやって
穏やかに一緒に過ごす時間を持つには
一緒に住むことを諦めないと
難しかったんだろうな。ってことは分かる。
 
だからこそ、この時間を
こういう時間を
少しでも多く、一緒に過ごしたいな。
と思ってしまうのです。
 
母は、認知症だけど
まだまだ、母に甘えたいし
母に大事にして貰いたい願望が
こんなに自分の中に溢れてるんだなぁ。って
実感しているし
母が誰かを大事にしている姿を
見ることが、こんなにも自分の中に
幸せをもたらしてくれるってことに
気づかせて貰って
何だか、すんごい幸せだった。
 
母の体調も、大腸が人より長いくらいで
病巣があるわけでもなかったので
一安心。
 
にしても、1号ちん
気持ち良さそうに目をつぶってて
何だか、涙が出そうになったな。