女三世代〜認知症の母を自宅介護〜ダブルケア日記@佐賀県みやき町

佐賀県みやき町で実家で認知症の実母と同居しながらダブルケアしているちぃこの日記です♪

鍵穴のシリンダーが「カチャ」と合うみたいに。

年始初の、かあしゃん訪問。

 

入院してからずっと合ってなかった、

かあしゃんの頭の中が

今日は、鍵穴のシリンダーが

カチャっと噛み合うみたいに動き出した。

 

今日は、この方が

まだ冬休みだったので一緒に行きましてね。

着替えを、ボックスに入れたり
洗濯物を回収したりして

かあしゃんのとこに向かうと

ちょうど、フロアにいるのが見えた。

 

ここ最近、ずっと変わらず

目の焦点が合ってなくて

私との会話も噛み合わなくて

なんとなく、寂しく感じてた。

 

今日も「お母さん」って呼んだら

振り向いてくれたけど

いつもと同じ、目の焦点が合ってなくて

「あぁ、今日も一方通行かな?」って思った。

「ほら、2号ちんだよ。」って、言って

2号ちんに意識を向けさせたら

「あら、2号ちんね。」

と言いながら、頭の中の何かが

ハマっていく感じがした。

 

その後も、普通に会話をしてみたら

思考がクリアになっていってるのが

私にも分かるくらい、会話が成立し始めた。

 

なんつーか

鍵穴のシリンダーが

鍵を回すたびに、カチャと合っていくような感じで

徐々に、かあしゃんの人格が出てきたんだよね〜。

 

認知症の人でさ、もう、ボケボケしてて

会話が成り立たない人でも

こういう瞬間があるんだよね。

 

ここに入院した日も

たまに、カチャって合う時間があったけど

今日は、久々で

なんだか嬉しくて、泣いてしまった。

 

でもね、こうやって意識がはっきりした時に

私が1番怖いのは自分の状況が分かるし

自分がどうしたいか?もはっきり分かるってこと。

 

「帰りたい」し

「一緒に外に出たい」って

今日、入院してから初めて、私達に、伝わるように態度に出した。

 

これがね、私には1番辛いのです。

一緒に帰れないから。

外出したいけど今日の今日じゃ無理なんだ。

 

だから、嬉しいけど悲しい。

この瞬間に感じる罪悪感は

いつになっても慣れないし

「ごめんね。」

って思うのです。

 

世界で一番大嫌い。

「そんなに死にたいなら、今すぐ、死ねばいいやん。」

 

ここ何年かで、段々と小さくなっていく

私と瓜二つな母を見下ろしながら

私は、多分、1番言いたくない言葉を

思いっきり叫んでしまった。

 

小学校5年生の頃、私は母の身長を追い抜いた。

「大きくなったね〜。」

と母は、何だか嬉しそうだった。

 

母は、甲斐甲斐しくお世話をすることが

愛情だと思っていた人で

何から何まで、自分がしてあげることが

子どものためだと思っていた。

 

小さい頃は、それで良かったし

むしろ、私よりも大事にされている弟に対して

「よっちゃんばっかりずるい。」

と嫉妬していた時期もあった。

 

それでも、順調に成長した私は

反抗期に突入した。

きっと、その頃から

母にとって私という存在が

一体何を考えていて、

どんなことをしようとしているのか

分からなくなって、

不安になり始めたんだと思う。

 

中学二年生の時、

私の机の引き出しに

片付けてあった日記帳が

私が片付けた時と

位置が変わっているのをみて

「あいつ、読みやがったな。」

と思った。

 

そのまま、部屋を出て

乱暴に台所の引き戸を開ける

「お母さん、勝手に私の日記読んだやろ。」

と問い詰めると、

母は、すぐに認めた。

 

謝られたけど、ふざけんな、と思った。

「子どもだからって、

あんたがどうにでもしていいわけやなか。

人の日記盗みみて、あんた恥ずかしくないと。

信じられん。」

って、怒鳴りまくった。

 

母は、どんな気持ちだっただろうか。

でも、それでも

どこかで、信頼していた母に

裏切られた気がして

悲しくて、悔しくて

「何なん、まじで何なん。あいつ絶対許さん。」

と、泣いて呟きながら

弟と一緒にねだって買ってもらった

二段ベッドの下の布団に潜り込んだ。

 

あの時と同じ気持ち

悲しくて悔しくて

どうしていいか分からなすぎて

この世で一番汚い言葉を吐き捨てて

泣きわめくしか

私には、出来なかった。

オムツに名前を書くのは託児所だけじゃなかった!

まだまだ、精神科に入院中のかあしゃん。

グループホームからここに移って

オムツ生活になったようです。

mamaroma1109-kaigo-kiroku.hatenablog.com

 

近所の薬局にて

大量に、大人用の紙おむつを購入。

えっちらおっちら、こちらのお嬢さんに

一緒に運んで貰いましたら。

 

「1枚1枚に、記名をお願いしてるんです。」

と看護師さんがおっしゃるので

2人で、面会室を貸し切って

オムツを全部出して、かあしゃんの名前を書く。

小さい頃、託児に預ける時に

持っていく紙おむつに

名前を書いていたことを思い出す。

 

あの時は、もっと小さい紙おむつで

この人が、もっと小さくて

可愛さだけが取り柄みたいな時間を

過ごしていたけれど

今となっては、一緒に

かあしゃんの紙おむつに

かあしゃんの名前を書けるようになってる。

 

あの時に、欲しいなぁ。と思って

結局買わなかった、お名前スタンプを

やっぱり買っておけば良かったと

指を真っ黒にしながら

軽く後悔しつつ、2人で一心不乱に

名前を書きまくる。

 

名前を書き終わったオムツを

袋に入れるのも、一緒にやってくれた。

これが、なかなか難しい。

パンパンに入ってた紙おむつ。

名前書きながら、広げてしまったりして

元の通りには、入らない。

 

それでも、2人で

買ってきたオムツに全部名前を書いて

無事、預けて帰ってきました。

 

オムツに名前を書くのは

保育園だけじゃなかったよ。

感情だけが残るって聞いてたけど、本当にそうだった!

母が入院する時に

2人の先生が診察してくれたんだけど

2人目の先生がね〜。なんというかね、

ちょっと威圧感バリバリでね。

「あぁ、これちょっとヤバいかも?」

って思ったんだよね〜。

 

母の目の前の椅子に座って

話を聞く態度がね

ほら、なんていうかさ慇懃無礼って感じ。

 

慇懃無礼とは?

表面の態度は
きわめて礼儀正しく丁寧だが、

実は尊大で相手を見下げているさま。

 

病院に来るまでの経緯は

1人目の先生にお伝えしたはずなのに

同じようなことまた聞いてくるし

私が説明している途中で割り入って

話を止めたりするし

なんかね、失礼だったのよ。

 

そしたらね、

隣に座っている母の様子が段々変わってきてね

片方の靴脱いだりして落ち着かなくなってきて

ブツブツ言い始めたんよね〜。

もうね、スイッチが入る合図。

 

案の定、その後はね

不穏になって、ずっとブツブツ文句言ってて

どっかに行こうとし始めてしまって。

 

そこからは、

母の怒りを落ち着かせるために

一緒に廊下を歩いてみたり

母が口にしている感情を

おうむ返しみたいにして呟いたり。

 

子どもの癇癪に付き合う時みたいに

目の前の人の感情の言葉を

一緒に呟いてみる。

 

そしたらね、そんなに時間もかからず

落ち着いたんだよね〜。

 

で、改めて、診察室じゃなくて

1号ちんも、夫ちゃんもお義母さんもいる

待合室のソファで話をして貰ったんだけど

その先生が、母の目の前に座った途端

顔を横に背けるんよーーーー。

いや、ちょっとね、笑ってしまった。

 

そこまで嫌なんだなぁ。って

ここまで露骨に「イヤ」っていう感情を

母が態度に出しているのを

初めて見たからびっくりもしたんだけど

もう、見事な態度だった。

 

でもね、後から

お義母さんとも話してたんだけど

認知症の人ってさ

目の前の人が、自分に対して

どんな感情を持っているのか?

に敏感になる人が多いんよね。

 

そう聞いてたからね

知識としては、知ってたんだけど

こんなにもはっきりと

「イヤな感じで向かってくる人」

って認識して、その人に対してい

「イヤだ。」

って意思表示する母を見て

お義母さんと2人で笑っちゃった。

 

でね、面白いことに、この後

めちゃくちゃ感じのいい看護師さんに

色々と説明して貰ったんだけど

その時に、かあしゃんが言ったの

「あら、良か人もおるとね。」

って。

もう、またさらに爆笑してしまったよ。

 

その看護師さんはね、ちゃんと母の方を見て

母に対しても話をしているのが分かる。

 

母に分かるように話しながら

同時に、私にも話しかけてる感じで

説明してくれたんだよね〜。

「この人にも、理解出来ることがある。」

って前提で、存在として認めてくれてるのが

母にも伝わったんだろうね〜。

 

今の母とは、話をしてても

噛み合わないし

お互いが話したいことを話してるだけ。

みたいな状態だけど

ちゃんと母の心はそこにあって

いろんなことを感じているって

この一日で痛感できて

なんだか、ちょっとだけ安心した。

 

一方的に感じてもいいから

理解出来る前提で話してみる。

そしたらね、なんかね

私の気持ちに、反応してくれるんだよね〜。

 

私が、悲しいと一緒に悲しんでくれる。

私が、怒ると一緒に怒ってくれる。

私が、面白いと一緒に面白がってくれる。

 

なんかね、グループホームに預けてる時は

すごく罪悪感があって

会いに行くのが、とても辛くって

一緒になって笑えることなんてなかったけど

今は、面会に行って、一緒に笑えるし

洗濯物を取りに行く度に

母の顔が見えると、思わず手を振って

「元気〜?」

って話しかけられる。

 

そんな状態になるなんて思ってなかったし

こんな穏やかな気持ちで

母と一緒に時間を過ごせるようになるなんて

思ってなかった。

 

今回、グループホームを移ることになって

色々悩んだこともあったけど

今の状態になるには、必要だったんだな。

 

こんな記事見つけた!

ダブルケア、施設に入って一安心ではなく。

母のためにオムツを買いました。 

 

まだまだ、介助すれば自分で行けるし

オムツをする必要性を

そこまで私は感じないけど

入院すると、やっぱり必要らしい。

 

確かに、自分が行きたい。

と思ってる時じゃないと

トイレ誘導すると、不穏になる。

 

それでも強行すると多分、暴れる。

(いや、実際暴れるらしい。

うん、想像つかなくもないないな。)

 

しかも「行きたい」

って思った時は、ギリギリが多く

切羽詰まってる感じで

間に合えばいいけど

間に合わないと失敗しそう。

 

だからね、

オムツになるんだろうけど

私が一緒にいる時くらいは

一緒にトイレに行って

トイレ介助しながらでもいいから

オムツを使わない時間を

増やせたらいいな。と思う。

 

うん、ヘルパーの資格が

マジで、役に立ってる!

 

こんなにある種類の中でも

ある程度、迷わずに買えた!

にしても、今はこんなに種類があるのね。

 

これから先

子育て中に介護に突入。

なんて方が増えると思うけど

元気なうちから、介護について

話し合っとくことをオススメします。

 

私は、母は嫌だっただろうけど

悲しかっただろうけど

「下の世話が必要になったら

預けるからね。」と伝えてた。

 

それでも、他にも

貯金どーする?とか

家の名義どーする?とか

保険どーする?とか

もっともっと、色々と話さないと

いけなかったこと沢山あるな。と思います。

 

当事者同士が集まって

話せる会を作りたいけど

・ダブルケア

不登校

どっちもやりたい。

 

でも、どっちもやれる時間がない。

いや、作ればあるか?

 

私が2人いればいいのにな。

もしかしたら、本当にいなくなってしまうかもしれないけれど。

ちょうど4年前のブログ。

mamaroma1109-kaigo-kiroku.hatenablog.com

この頃に比べたら
今の母は、もうほとんど
目の前の状況を理解出来なくなってて
意味のわからない話を、ずっと、私に向かってしている。
 
その話に、耳を傾け、何を話してるのかな?
と探りつつ、私も私が話したい話をする。
 
意味が分かってるかは不明だけど
笑うタイミングで笑うし
それヤダね。ってタイミングで
そう言ってくれるし
きっとさ、頭の部分にある
母の意識は、
埋もれちゃってるのかもしれないけれど
無意識の中の母は
今、目の前にいるのかもしれない。
 
そんな姿の母を見て
預けてしまったこととか
施設に置いていってしまうこととか
母に会うことで罪悪感を刺激されるのが
怖くて、面会に行けてなかった自分に
腹が立つ。
 
もっと、日常的に
寄り添ってくれる人がいる。
と、母の無意識の中に
インプット出来てれば
進行も、スピードダウンしたのかも?
とかとか、もうね
次から次へと色んな感情が湧いてくる。
 
グッと我慢してたけど
母の前で、号泣してしまった。
「そがん、泣かんちゃよかー。大丈夫やけん。」
と言いながら、私の頭を撫でてくれたのは
紛れもなく、母だったから。
そんな瞬間を拾い集めて
私はきっとこれからの母との時間を
過ごしていくんだな。
 
背中を撫で
手を握り
一緒に並んで歩く。
なんて、普通のことが
出来なくなってた自宅介護の真っ最中の私に
時間をかけたらここまで、変わるんだよ。
って教えてあげたい。
 
撫でてあげたい
手を握ってあげたいのに
心が拒否してしまう自分を
親不孝だと責めていた私に伝えたい。
 
物理的に離れて過ごすことが
その拒否感を減らしてくれるかもよ。
って、教えてあげたい。
一緒に過ごした時間が
長くてキツイほど
その拒否感を払拭する時間が
長い時間必要になるんだよ。って。
 
でも、今の時点で
この状態を理解出来る環境に
移ることが出来て良かった。
 
何かをしてあげることよりも
どんな時間を過ごすのか?
の方が大切なんだって
この頃にも気づいてたのにね
それを実行に移すのが難しいくらい
私は、判断力が鈍ってたんだな。
 
 
入院することで
使いたくなかった薬を
使うことになりそうだけど
それで少しでも母の感情が
波立たずに、穏やかに過ごせるならば
私のエゴなんて横に置いといて
正解なんだと思う。
 
 
そして、強い薬を
なるべく使わなくていいように
会いに行ける時に会いに行って
母の心を安心させてあげたい。
 
きっと、私と会って
孫たちに会って
訳の分からん会話をしている中に
ふと、母の気持ちが出てくる瞬間を
少しでも増やしてあげたら
何かが変わるかもしれない。
 
元の母には戻らなくていいから
穏やかな時間と
心から笑える時間を
一緒に過ごせたらいいな。と思う。
 

この人のこの笑顔も
母にとっては、薬だもんね。

 

高齢者の免許証返納〜本人が納得するなんて幻想かもしれん〜

高齢者の免許証返納、うちの場合。

 

1号ちんの出産時に、夫ちゃんが母と同乗している時

・右折する時にウィンカーを出さなかった。

・信号赤だったのに、進んだ。

なんてこともあったし

私が、産院に通う間、母に送り迎えして貰ったけど

まぁ、同じような現象がちょいちょいあった。

 

でも、10年も前だし

まだまだ高齢者の交通事故もここまで多くなくって

「ちゃんと気をつけて運転してよね。」

で終わってました。

 

その時、母は、65歳。

 

その後、認知症と診断されたのは66歳の時。

多分、診断されてからも数年くらいは

自分で運転して、

買い物とか習いごとには行ってたな。

だって、私がいつもいつも

足になれるわけでもなかったしね。

 

それでも、やっぱり

認知症って診断されているんだし

何かあってからじゃ遅いから

運転を控えるように言い始めました。

 

ちょうどその頃

私と車を共用していた夫ちゃんが

単独で使うことも増え始めたので

同居していた私達は、まず

「母の車を借りる。」

ということを始めました。

 

その借りる回数を徐々に増やして行き

段々と、母を車の運転から遠ざける作戦ね。

 

それでも、母は

私達の意図を察したのか

「なんで、私に運転させんとね!」とか

「私から車ば奪ってからどういうつもり!」

と、何度も何度も、食い下がって来ました。

 

それでも、

認知症のお母さんが

車を運転して、何か事故とか起こしたら

お母さんだけじゃなくて

私が責任取らなきゃいけなくなるし

弟にも、迷惑がかかるとよ。」

と、何度も何度も伝えるしかない。

 

それに加えて、母が外出したい時は

私が送り迎えをする。

と決めることもしたなぁ。

 

自転車に乗ればいいやん。とか

バス使えばいいやん。とか

提案してみるものの

全部さ、便利さから遠ざかるからさ

絶対に納得してくれなかったなぁ。

 

 

それに加えて、認知症の初期で

まだまだ、はっきりしている時間が

多かった母にとっては

とても苦痛だっただろうし

自分が唯一自由になる「行動」を

抑制された気がして、たまらなかったと思う。

 

 

ただ、たった一度だけ

車の鍵のことで喧嘩しまくったあと

「じゃあ、運転してみればいいやん。」

と鍵を渡したことがあるけれど

結局、エンジンはかけられたものの

その時には、

すでに運転の仕方を忘れていたのか

やっぱり怖くなったのかは

私には、分からないけれど

そのままエンジン切って、

帰って来たことはある。

 

母自身、父が亡くなってから

父の車を運転してて、

自損事故を起こしてから

車の運転自体を怖がっていた。

という背景は、元々あって

その事故の後、車を買い換えた時も

乗用車だけど、小さめの車にした。

 

そうやって、自分の運転の腕に

自信がなくても、やっぱりどうしても

これまでの移動距離とは格段に変わるし

遠くに出かけるには、誰かの手を借りないと

出かけられなくなるのは

母にとっては、苦痛だっただろうな。

とは思います。

 

なので、本当は、本人が納得した上で

免許証を返納できれば1番いいけど

多分、実際にそれは不可能に近くて

別に運転できないからって

その人自身が

何もできなくなるわけじゃないのに

「お前は、もう何もできないんだ」

って言われてる気がするみたいで

そんな烙印は、誰しも受け入れたくないから

どうしても、それはしたくないことになるしね。

 

 

認知症でなければ、

何度も何度も話し合いながら

少しずつ、理解を求めていくしか

方法はないのかもしれないけれど

時には「嘘も方便」で

本人が、しぶしぶでもいいので

それなら仕方ないか。

と運転を手放せるように

試行錯誤するしかないかなぁ。

なんて思ったりします。

 

私の老後は、駅前のマンションで

運転しなくてもいいようになってたいなぁ。

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